第十二章 「天子降臨」

 

 

TACは朝8:20出勤。基本的に残業は殆んど無いから、18:00帰宅
つまりアパートの誰よりも遅く家を出て、誰よりも早く帰る。

他の住民の皆さんは常に駐車場に停まりっぱなしの百鬼夜号を見て、「あそこのダンナ、ひょっとして仕事してないんぢゃね?と思われているような気がする。

 

してますよ一応。

TACです。



ヨメが北海道へ帰って1ヶ月超。
その間に年が明け、2008年もあっという間に2月に突入。とうとう臨月に入った。

もともとヨメは筆不精なのでマメな連絡はハナから期待してなかったが、ほっとくとホントに全く音沙汰がない。たまにこちらからメールで経過を尋ねるくらいだ。
御子は順調のようだが、どうやら母体の方が正月の暴飲暴食が祟って4kg増量。
向こうの産婦人科の先生に「自宅出産なんてとんでもないです」逆タイコ判押されるほどに太ってしまったらしい。

こっちであれほど頑張った努力を簡単にチャラにしてんぢゃねぇ。

 

 

 

 

 

さて、寂しい一人暮らしをしているTACを慮ってか――この期間に多くの友人が遊びに来てくれた。
福山のSYOさんもその一人である。彼が事前に「遊びに行ってもイイ?」と指定してきた日は2月9日〜11日だった。

ちなみに出産予定日は16日。その一週間後である。
一般に初産は予定より遅れると聞いた事あるし、まず大丈夫だとは思うが・・・可能性はゼロではない
一応SYOさんには「もし万が一その日にヨメが産気づいちゃったらアンタほっぽって北海道行っちゃうかもしれんけどそれでもいい?」と断りを入れておいた。

ちなみにその連休にはやよいさん家族とも遊ぶ約束があったし、SYOさんと「劇団繋がり」で面識がある名古屋ののんちゃんも彼に会いたかろうと思ったので、どうせなら全部まとめちゃう事にし、

【9日】 SYOさんが美濃に夕方着。その夜は二人で飲む。
【10日】実家で囲炉裏ぱーちぃ。その後やよいさん家族と合流し、どっかで一緒に夕食。
【11日】みんなで名古屋へ。のんちゃんの案内で名古屋観光。

・・・という3日間のスケジュールを勝手に立てた。
各人へその旨を知らせ、予定はカンペキなはずであった。

 

 

しかし、さすがはヨメである。

まさかピンポイントで、よりによってこのタイミングで来るとは思ってなかった。

 



9日。

SYOさんは有名な雨男である。いや、むしろ「嵐を呼ぶ男」と言うべきか。
この日も彼はちゃっかり大雪を引き連れてやってきた。

二人で地元の居酒屋で飲み、アパートに帰ってからは彼が持ってきたDVD「ゲゲゲの鬼太郎」を鑑賞しながら飲み直し。
日付も変わり、そろそろ寝ようかと思っていたまさにその時、ヨメからの携帯メールが届いた。

『あのね。今、お腹が張って痛いのを繰り返してるの。もしかしたらお産が来るのかも。
ムラカミ先生は
「感覚と痛みが変わったらまた連絡して。まだ始まりだと思うから寝られるうちに寝ておいて」だって』

 

・・・ま・・・、

 ま ぢ で つ か ?

 

よりによってこのタイミングですか?
明日も明後日も予定が入っちゃってるこの連休にですか?
そりゃ平日に来られてもそれはそれで困っちゃうんだけど空気読んでんだか読めてないんだか。

とりあえず状況に進展があったらまた連絡するように返信。

時期的に今は「札幌雪祭り」真っ最中。駆け付けたくとも、どうせ今から飛行機のチケットなんて取れないだろう・・・と思いつつ、一応ネットで検索。

 

 

10日の便、けっこうガラ空き。

3連休の中日だから行く人も帰る人も少ないようだ。しかも御丁寧に昨日まで出ていた大雪による欠航も解除されてやがる。運がイイっつーかアテが外れたっつーか。
・・・とにかく今は客がいるし、彼の処遇を何とかしてからでないと動けないので、とりあえず最終便を仮予約する。

「SYOさん・・・冗談で言ってたコトが本気で起きそうな予感です。なんか産まれそうらしいんです・・・」

「まじですか」

「すんません。明日、北海道に行くことになるかもしれません。ホントごめんなさい」

「いや・・・むしろネタをありがとう

 

「嵐を呼ぶ男」SYOさん。
今回は雪だけでなくコウノトリまで連れてきた。



10日。
当初の予定通り、この日は実家にSYOさんを連れて行き、囲炉裏で炉端焼きパーチィ。いろんなモン食って飲む。

しかしTACの頭の中は御子のことでいっぱい。
今後の事とかいろいろ考える。

とにかく16時になったらSYOさんを連れてココを発ち、やよいさん家族と待ち合わせしている岐阜駅へ行く。今夜はみんなで一緒に夕食の予定だったが、彼女らにSYOさんを押し付けて俺はそのまま空港行きの電車に乗る。
明日の予定「名古屋散策」も、俺は居ないのでのんちゃんに全員押し付けていく事になる。

メールで断りを入れたら、みんな快く承諾してくれた。
やよいさんはなんとSYOさんを自分の家に泊めてくれるとまで言ってくれた。本当に感謝。
仮予約を本予約にシフト。よしっ!行くぜ!ヨメにその旨を連絡。相変わらず陣痛は繰り返しているが、どうやらまだ産まれてはいないようだ。

 

 

ちなみにこの時点で最初の連絡を受けてから既に15時間が経過している。
安産とはいかなくとも、いいかげんここらで産まれてもいい頃だろう。あと少しだ、ヨメ頑張ってくれ!
俺が着いたら、真っ先に元気な赤ちゃんを笑顔で抱き上げられるように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――そう。

どうせ間に合うわけがないと、この時点では思っていたのだ。

そもそも自宅出産をすると聞いた時点で、「俺は出産に立ち会う事はなさそうだな」安心油断していた。

連絡を受けて北海道に駆け付けた頃には、既に無事出産を終えたヨメが赤ちゃんと共に迎えてくれると。
俺の仕事はただ、そんな彼女らを「御疲れ様」と抱きしめるだけでイイんだと・・・そう信じていたのだ。

 

忘れていた。

 

ヨメは極度の便秘症だった。

 

 

 



夕暮れの岐阜駅。
やよいさんと娘のおみちゃん、そして警察に職質されてもおかしくないほどアルコール臭発散中のSYOさん(ウチで飲ませ過ぎた)らに見送られ、TACはセントレア行きの電車に無事乗る事が出来た。
SYOさんとやよいさんから頂いた、大量の出産祝いを手に。(まだ産まれてないのに)

移動中、何度かヨメにメールで状況確認をしたが、陣痛でそれどころぢゃねぇのか返信はない。何か問題でも起きたんじゃないのかと不安になる。

気晴らしに携帯でテトリスをプレイ。(ヲイ
あっさりと新記録を叩き出す。よっしゃあっ、幸先イイぜ!生まれる!絶対無事生まれる!
(こーゆー時、TACは滑稽なほど必死にポジティブ思考

 

飛行機に乗る。
搭乗中は携帯が使えないので当然ヨメとの連絡はつかない。経過を知る術もない。
いつもだったら爆睡なのに今回だけは寝られたモンぢゃねぇ。

気晴らしに機内誌「SKY WARD」を読む。隅々まで読む。
なんと地元の岐阜県美濃市が特集で紹介されていた。知ってる店や知人の写真もバッチリ掲載。なんたる偶然!
おっしゃあっ、ホントに幸先いい!生まれる!絶対無事生まれるよ!(必死)

 

22時半、新千歳空港着。
雪のために到着時間が遅れたせいか、高速バスの最終便に乗り遅れる。
大丈夫っ!大丈夫っっ!!生まれる!絶対無事生まれるって!(ホントに必死)
大慌てで札幌行き快速電車に飛び乗る。

 

電車の中。
未だ産まれたという連絡はない。しかしこの時点で最初の連絡からそろそろ丸一日経とうとしているのだ。緊張が高まる。
まさか連絡も出来ないほどの緊急事態に見舞われているのではないか?!

立会い出産も経験している友人すのぴに携帯メール。
『俺の身体一つで出来る最低限のアドバイスを頼む』

すぐに、彼から何件にも分けた細かいメールが送られてきた。的確かつ十二分に噛み砕かれた彼の言葉には毎度助けられている。

『ランドマーク1。胎児が下がると脱糞と同じ神経筋肉系が反応し、ウンコしたい的いきみたい、の気持ちになる』
ほうほう。

『ランドマーク2。いきんでいいかは助産師の許可得て。全身全霊で息むが、声を出さないように、エネルギーがにげる』
うんなるほどなるほど。

『ランドマーク3。多分心拍モニターを付ける。息むと膣が締まって新生児を圧迫するので心拍が遅くなる。息むのを止めると心拍は回復する。いきみと脱力のリズムは体と新生児の状況から都度判断。この間も母親は痛いとか寒いとか言うので、マッサージしたり毛布掛けたり。嘔吐もあり得るのでバケツスタンバイ』
・・・自宅出産だけどモニターって付けるのかしら・・・?

『ランドマーク4。破水。全身の野生の遺伝子がそれと気づく。この辺りで分娩室。膝抱えて力む』
分娩室?・・・あ、やっぱり「自宅出産」ってこと彼は知らなかったんだ。

お産はアクセルと脱力繰り返す。リズムは遺伝子任せだが、新生児の状態は助産師の感覚しだいやね。父ちゃんは母ちゃんに経過を教え、呼吸や姿勢や力入れ抜きを指示。痛い寒いいろいろなわがままに執事のように粛々と従うこと』
毎度思っている事だが、この人は一体ナニ者だ。

『最後にリスクを。出血するので強い貧血になる。助産師さんと対応協議しておいて。以上健やかな新たな命の誕生を祈ります』
 

ここで携帯が電池切れでダウン。テトリスと長文メールのやり取りが祟ったようだ。

だ、大丈夫大丈夫っっ!!生まれる!もうとっくに生まれ てるに決まってる!(根拠はあまりない)

 

 

駅に到着後、すぐコンビニ飛び込んで携帯の電池パック購入。そのままタクシー捕まえてヨメの実家に直行する。

 


タクシーの中。
産まれたかどうか心配でソワソワソワ。
札幌駅からヨメ実家までタクシー直行というのも初めての経験なので幾らかかるのかソワソワソワ。

 

・・・あ、そうだ。名前どうしよう。
男女とも三つほど候補は絞り込んである。その中で第一候補も一応考えてある。男だったら「空丸」、女だったら「奈々」である。(ともに字画は8:3)

そして、どういうわけか一族の間では勝手に「男」が生まれることになっているようだった。

科学的根拠は多分ないし、おそらくは統計データですらないと思うが、昔から妊娠中の妊婦の顔つきの変化や腹の出具合で御子が男か女か判るという迷信めいた言い伝えがある。
両親も両祖父母も、「あの顔は間違いない。男だ」「あの腹の出方は男だね」と、なんだかすっかり男と信じて疑ってない。
しかも、その説を後押しするかのように、かつて検診に行ったヨメがこう言ったのである。

「今日のエコー検査でお腹の中をモニターで見せてもらってる時に、チラッと見えたような気がしたのよね・・・・・アレが」

アレとは、もちろんチンコのことである。

 

そこまで言われちゃうと、TACの頭にもすっかり「生まれてくる子は男」という気持ちが刷り込まれてしまう。
だから命名もおよそ9割くらい「空丸」に傾いていた。そうなった場合、息子のハンドルネームは「ソラマメ」にしようとほぼ決まっていた。
無事に生まれていてくれよ、ソラマメ・・・っっ!!

 

そんなことを考えているうちに、タクシーは雪が積もった深夜のとある街角に停車した。

 

 

 

 

 

タクシーを見送ってから、しんと静まりかえった周囲を見渡して思う。
・・・ココ、どこですか??

札幌の住所は京都と同じで「北●条・西○丁目」という完全な座標で表記されている。
てっきり数字だけ正確に告げればヨメの実家の玄関先に降ろしてもらえると思ってたのだが、考えてみればこの座標は交差点の場所だよな。

すでに日付も変わろうとしている時刻だったので正直ためらったが、このまま凍死もイヤなのでヨメ実家に電話する。
すぐにお義父さんが迎えに来てくれた。
二人で夜道を歩きながら話す。

義父
「遠いとこ、御苦労さんだったね」
TAC
「いえ・・・。それよりヨメと子供は無事ですか?産まれました?」
義父
「今もウンウン唸ってるよ」

 

間に合っちゃいました。orz

連絡受けてから24時間経過してるのに、まさかホントに立会い出産になるとは。
しかも未踏の境地・自宅出産。

 

 

ヨメ実家に到着。
迎えてくれたお義母さん、義祖母さんに挨拶。兄弟は両方とも夜勤で留守のようだ。

そのまま「さ、こっちよ」と奥の部屋に案内される。

 


灯りを消した薄暗い仏間から、か細い「くぅ〜〜〜〜〜〜〜・・・・・」という呻き声が漏れ聞こえてくる。ヨメの声だ。
部屋に入ると、助産士のムラカミ先生が「お待ちしてましたよ」と迎えてくれた。

そして脇の布団には、顔をしかめて痛みに耐えているパジャマ姿のヨメが横向きに寝ていた。

人によっては騒がしいほどに泣き叫ぶこともあるようだが、うちのヨメは静かなもんだ。
消え入りそうなほど小さな裏声でただひたすら「くぅ〜〜〜〜・・・・」と呻いている。

 

 

 

なんかこのヒト、心配せんでも大丈夫な気がしてきた。

 


午前一時。
実はこっからが大変だった。(本人にとっては)
文字通り修羅場だった。(本人だけが)

ヨメはどうやら微弱陣痛だったらしく、なかなか安定した間隔の陣痛が来ない。
痛みが襲ってくると両膝を抱えるようにしてイキむわけだが、どうやらイキみ方もヘタッピだったらしく、ムラカミ先生に「ほらっ!全然チカラ入ってないよ!顔だけじゃダメよ!と何度も叱られた。顔だけて。
とにかく御子はなかなか降りて来ない。・・・しょうがない。ヨメは極度の便秘症なのだ。 ウンコと一緒にすんな俺。

この時点で夫に出来る事は、励ましながらヨメの手を握り、イキむ時は一緒に呼吸を合わせてイキむくらいだ。さぞ傍から見たら笑える顔だったろうと思う。
コトは緩慢に、時間はダラダラと過ぎていった。

 

 

午前二時。御子はなかなか降りて来ない。
夜もすっかり更け、ずっと起きて待っていたお義母さんもお婆ちゃんも睡魔に耐え切れず就寝。お義父さんだけ、一人居間のPCでフリーセルをやっていた。ゲームで気を紛らせてはいるが、 本当は娘が心配で寝られないのだろう。
三時をまわる頃になると、さすがに現場の3人は疲れと眠気ともにピークに達していた。
子宮口は既に全開バリバリだし、破水もとっくに終わってる。そろそろ産まれんと御子のほうがヤバいんぢゃないかと心配になるが、ムラカミ先生は「大丈夫」と余裕である。いつの間にかストーブの前で突っ伏して寝オチしてたりして、TACをビビらせるほどであった。センセ、起きて。 お願い。(泣)
(それでも、陣痛が来てヨメが微かに呻き声を上げただけでパッと起きるのは流石である。職業柄、僅かの時間でも小刻みに寝られる体質らしい)

 

 

午前四時。御子はまだ降りて来ない。
ムラカミ先生曰く、「しばらくイキむのやめなさい。そんなやり方じゃ疲れるだけだから」
イイんスか先生それで???

陣痛が落ち着いてしまったよーなので、寝れるうちに3人とも軽く寝ることにする。
空が白み始めていた。ホントに完徹になるとは思わんかった。

 

 

 

 

午前八時。御子はまだ降りて来ない。
ムラカミ先生が心音センサーで御子の心音をチェックする。
「トコトコトコトコ・・・・」とりあえずまだ生きてる。しかしもう羊水は出ちゃってるわけだからこれ以上長引くと赤ちゃんだって苦しいだろう。
頼む!頑張ってくれヨメ!いやむしろ踏ん張ってくれヨメ!


ここで ムラカミ先生がヨメに言う。
「今ココで選択してちょうだい。もう少し頑張るか、病院に行くか。・・・正直、今のままではゴールが見えないの。このままいたずらに時間だけが過ぎていくと、あなたも赤ちゃんもどんどん消耗していくわ。そうなってからでは遅いの。どうする?」

この時、ヨメはしばし考えた後・・・小さな声で、しかしハッキリと言った。
「もう少し・・・頑張りたい」

――自宅出産を望んだのは自分自身。せっかくここまで来たのにギブアップしたくない――・・・ヨメは意志が強い方では決してなかったが諦めも悪かった。このときのヨメの目には、強い決心の色がうかがえた。
その意志を尊重する事にする。

ムラカミ先生
「じゃ、今すぐ階段登っといで」

・・・センセ、あんた酷や。
 

陣痛を促すための運動として、台所を行ったり来たり、階段を登ったり降りたりする。TACも甲斐甲斐しくそれに付き合う。
ヨメの顔はもはや不機嫌を通り越して朦朧としている。今なにか話しかけたら殴られそうな気がしたので迂闊な事は言わないようにした。
階段昇降中に夜勤から帰宅した義兄さんと玄関で鉢合わせしたが、彼も妹の只ならぬ雰囲気に固まっていた。

ムラカミ先生
「そんなノタノタ歩いてちゃ体冷やすだけだからやっぱ戻っといで

・・・センセ、あんたや。

 

 

 

午前八時半。御子はまだ降りて来ない。
ムラカミ先生が言う。
「あとちょっとなのよ・・・。ホラ旦那さん、こっち来て見てごらんよ。アタマ見えてるから
いやいやいやいやいやいやいや無理無理無理無理無理無理無理っす。
いくら夫でも、こーゆー時よーゆー場所は直視できないっつーかしちゃいけないような気がするの。

 

 

 

 

 

後に聞いた話だが――この時ヨメは、弱音こそ口に出さなかったが既に己の腹筋に限界を感じていたらしい。

(赤ちゃんお願い・・・もうお母さんにはあなたをひり出す力は残ってないの・・・お願いだから・・・なんとか自分の力で出てきてちょうだい・・・!)

と、ひたすら心の中で念じていたと述懐する。

 

――そして。
母のこのかなり他力本願な祈りに御子が反応したか、 ここに来てついに変化が現れた。

 

 

 

 

ヨメが仁王立ちになって洋服ダンスに突っ張り稽古のような姿勢で寄りかかる。
その足元にムラカミ先生が走り寄る。
「来るよ!」

・・・え?ナニがくるの??←アホ

ヨメの口から今までとは明らかに違う感じの呻き声が漏れる。

え?なに?何なの??ナニか生まれるみたいな声出してるよ???←生まれるんです

 

 

 

完全にパニックな状態のTAC。しかしその目は、その瞬間をただの一時も逃さず確かに捉えていた。

仁王立ちになったヨメの両足の間。
畳の上に「バシャッ」とブチ撒かれる血と羊水の混じった液体。
ムラカミ先生の手に添えられるようにして、頭からまさしく「ズルリ」という感じに滑り出されてくる赤黒い物体。
第一声はか細く搾り出すように。しかし少しづつ確かに力強さを帯びてくる産声。

片時も目を離すことは出来なかった。
自分は今、スゴイ瞬間を目撃したのだと強く実感していた。そう、たった今この地球の総人口が一人分カウントアップした瞬間を。
生まれた。我が子が。
生きてる。ちゃんと息して手足も動かしてああああマジかよスゲェ。
泣いてる。やべぇホントにオヤジになっちまったマジやべぇ。
あああああでも生きてる。元気に生まれてくれたっ!はっ、は、ははははぢめましてTACです僭越ながらチミのチチオヤを担当させていただぴます至らぬ点もあるかとは思いますがってナニ言ってんだオレ落ち着けオレッッ!
と、とにかくよくぞ生まれてくれまいたっ!!ようこそ我が息子ソラ
・・・

ムラカミ先生
「はい、御疲れ様!元気な女の子よ」

えええええええええええぇ〜〜?!?

 

 

 

 

 

 

 

――確かにマゴーことなき女の子ですた。
玉のよーな赤ちゃんですが、タマはありませんでした。

いや全っっっ然OKっす!
とにかく無事に生まれてくれただけで大感謝。ありがとうヨメ。本当によく頑張ってくれたね。御疲れ様でした。
2008年2月11日午前8時53分――新しい家族は、天より舞い降りた。
最初の連絡から、実に33時間の永きにわたる死闘の果てだった。

 

 

「さ、お父さん。抱いてあげて」

ムラカミ先生がタオルにくるまれた我が子を差し出す。
ああ、待ちに待った感動の瞬間である。


うわ〜☆

 

 

 

 

 


 

 

 

 


猿みてー・・・

 

 

 

 

 

 

いや、いやいやいやチョット待って。石はやめて。刃物はもっとやめて。

冗談言ってるんぢゃないんだよ。立会い出産経験者の多くはきっと同じ感想持ったと思うのよ。
生まれたばかりの赤ん坊ってさ。なんつーかホラ、可愛いっつーよりちょっとグロいのよ。顔はチアノーゼ起こして真紫だし、狭い産道抜けるために頭蓋骨の勘合外して出てくるもんだから後頭部はエイリアンみたいに出っ張ってるし、腫れぼったい瞼と羊水で頭皮に張り付いた髪の毛はまるで日野日出志だし。

 

でもね、すっげー小せェの。
何から何まで作りが小さくて壊れそうなほど繊細なの。やたら柔らけェの。そこがまた心締め付けられるような何ともいえんくすぐったい気持ちにさせるの。

ムラカミ先生が大振りのハサミを持ってやって来る。
そう、出産直後の神聖なる儀式――臍の緒切断の儀である。これによって、御子は今まで体内でずっと繋がっていた母親の体と完全に分離され、独立した一人の人間として生命活動を開始するのである。TACにハサミが渡される。ぃよっし、ききききき切るぞ!父ちゃん切るぞ!!(ド緊張)
初めて見る人間の臍の緒は、電話の受話器コードを思いっきり引っ張ったような螺旋状で真っ白だった。ゴムのようにしっかりとした手触りで予想以上に固い。緊張に震えるハサミの刃先でヘソの根元を狙う。

ムラカミ先生
「ちょっとちょっと。そんな根元で切らんでもいいのよ。このへんでいいの」

TAC
「え?そんなに残すの?女の子がこんな出ベソだと学校で苛められません?」

 

・・・ここで一つ恥ずかしいことを告白すると・・・実はTAC、臍の緒は時間が経つと自然に根元から取れるものであることを知らなかった。
つまり、臍の緒を切る時は出来るだけ赤ちゃん側に近い場所で切らないと、そのまま残って出ベソになってしまうと思い込んでいたのだ。ピュアなアホだ。

3cmほど残してチョン切り、先を洗濯バサミで挟む。分離完了。
体を拭き、身長と体重を量る。ちょっと小柄かも?でも、特に体のどこにも異常は見られない。元気だ。本当に良かった。
てっきりこのまま産湯に入れるのかと思っていたが、ムラカミ先生曰く「赤ちゃんの体にコーティングされてる羊水の膜は、バイ菌から赤ちゃんを護るこれ以上ないってほど優秀なバリヤーなの。わざわざ洗い流す事はない」そうな。昔ながらの出産方法とは言っても、全てが昔ながらというわけではないらしい。

ベビー服を着せ、御子をヨメの横に寝かせる。
静かだったので今まで気付かなかったが、いつ泣いたのだろう・・・ヨメの目と鼻は真っ赤だった。当然スッピンだし、髪もボサボサである。しかし。
こんなに美しいヨメは初めて見た。
潤んだ瞳で我が子を見つめるその優しい表情は、なんだか後光が差しているようにも感じられる。神々しい程に光り輝いていた。
これは・・・そうだ、鬼子母神だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鬼子母神(日蓮宗:孝勝寺本尊

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・すまん。「菩薩」の間違いでした。ヨメ許せ。

 

 

 

 

 

 

 

当然その日はもうヨメの家族全員お祭りモード全開である。
TACも家族及び親しい友人らに電話とメールで出産報告。次々とお祝いの返信が届く。

写真もアホみたいに撮りまくり。この日のために買ったデジカメの、最初のメモリーカードをいきなり使い切る勢いで撮りまくり。こーやってみると、目のデカさ、首の細さ、華奢な体は一応TAC似かもしれん。
しかしなんつーか、この小さな生き物が持つ魔力性は異常。寝顔も泣き顔も、いつまで見ていても飽きん。顔からニヤケが止まらん。ほんのちょっと前までヨメの”内臓”だったものが、今目の前で小さな寝息をたてているというこの事実すらがもンの凄く不思議。人間ってスゲェ。命ってスゲェ。

ふと部屋の脇をみると、トレーの上に口を縛ったビニール袋みたいなのが無造作に置かれている。それが胎盤である事に気付いてちょっとビビる。
初めて見るが意外にも綺麗なものだ。胎盤は排出される時に裏返るらしく、元は内側だった面が外になっている。真っ白でキラキラ光っていた。臍の緒も見える。

ヨメ
「記念に写真撮っとこうか」
TAC
「いや、やめとこ・・・苦手な人にとっては立派なグロ写真だ」――内臓だもんね。

 

御子の初めてのオムツ替えは二人で協力してやった。ヨメの希望で、御子は布オムツで育てる予定。慣れない手つきで四苦八苦しながら替える。
ムラカミ先生から赤ちゃんが生まれて最初にするウンコは真っ黒なペースト状であると聞いていたが、うん、確かに「桃屋のごはんですよ」のようなウンコだった。
この子のウンコなら御飯に乗っけて食えると本気で思った。(←変態か)

 

 

 

その夜は、親子川の字になって寝た。
しかし、正直寝れたものじゃなかった。御子がちょっと微かに泣き声をあげると、二人とも文字通り跳ねるように飛び起きて、オムツのチェックをする。濡れてなければ授乳する。そんなことを二時間おきくらいに繰り返した。
ヨメの母乳はあまり出が良いほうではないらしく、御子のまだ弱い肺活量では思うように吸えずに泣かれる事も多かった。最初は乳首の先にうっすらと滲むまで手で搾るようにしてから、御子の口に含ませる必要があった。
乳がたくさん作られるように、ムラカミ先生から「熱いほうじ茶を一日に最低3リットルは飲むこと」を義務付けられていた。ヨメ頑張れ。
さらに乳の出を良くするため、定期的に乳房のマッサージをするようにも言われていた。ああ、そこは俺に任せろ。協力する。

 


翌12日。

今日の夕方には岐阜に帰らねばならない。せっかく生まれた娘とまた別れるのは断腸の思いだが仕方がない。
一緒にいられるのは実質一日だけである。せめて今のうちとばかりに抱き貯めしとくことにする。ああ可愛いなぁ。

ヨメの布団の脇に座り抱いていると、寝ていた御子が腕の中で目覚めた。だが泣くわけでもなく、ただ大人しくぽや〜〜・・・とまどろんでいる。
まだほとんど何も見えないはずの目で、なんとなく光を追っているようだ。いつも寝てるか泣いてるかのどっちかなので今までまともに見ることが出来なかった御子のパッチリ開いた目をマジマジと覗き込む。

綺麗な目だ。赤ちゃんの白目って、白いというよりむしろうっすら青いのな。
そしてやっぱり、誰に似たのか目がデカっ。この子はきっと美人になる。なるに決まっちょる。

ヨメ
「・・・で、結局名前は奈々にするの?」

あ、そうだった。そろそろ名前をマジに決めなきゃなぁ。
女の子だった場合の第一候補は確かに「奈々」だったけど、とりあえずウチ帰って両親とも相談して―――

義父
「そうか、おまえの名前は奈々か!」
義母
「奈々ちゃん☆ナ〜ナ〜ちゃ〜〜ん♪」
お婆ちゃん
「奈々か。エエ名前や、奈々。奈々〜」

 

なんかその場にいた全員がナナナナナナナ合唱し始めた。
DJ OZMAばりにナナナナナナナナナナ言ってる。なんだかもう、今さら別の名前などとても言えない雰囲気。

 

 

 

 

まぁイイか、奈々で。(おーい)

よっしゃ、決定。命名、「奈々」!ハンドル名も「ナナ」!

 

ナナです。これからヨロシクね!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――ナナへ。

 

静かに眠りながら、しかし俺の指先をしっかり握って離さない君を見て・・・今、心の底から思う。
君を命かけて守りたい。

人間何だかんだ言って最も大切なもの、最優先順位の一位にあるのは「自分の命」だ。俺もそうだった。
結婚してからは、自分の命に並んでヨメの存在が同率首位になった。これ以上大切なものなんか、この先もずっと無い。
そう思っていた。・・・ほんの一昨日までは。

 

今、君が生まれて。

「自分の命」など圧倒的な差でブチ抜いて、

あっという間に不動の一位となった存在がいることに自分でも正直驚いている。

 

 

これだけはハッキリ自信を持って言える。

俺は何の取り得も甲斐性もないコンプレックスの塊で、小心な情けない親父だけど。
もし、未来の君の確実な幸福のため・・・もしくは、
考えたくもないが――例えば君が不治の病に犯されてそれを救うために。

「俺の命」が必要なら。

 

 

 

 

 

 

 

その時はコンマ1秒迷わない。

 

俺の血肉の最後の一滴、命の最後の一片まで。
君のために捧げると誓う。

生まれてきてくれてありがとう。
ようこそ我が家へ。

 

愛してるよ。

 

 

 

 

 

 

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