第五章 「歌って笑ってオタル二次会」
披露宴が終わってすぐ、TAC親族&友人家族たちは空港にすっ飛んで行った。
間違っても飛行機に乗り遅れないよう、電車移動&空港での夕食・土産購入時間を見込んで早めにホテルを発つようにTACが予め言っておいたからだ。
おかげで早く着き過ぎ、出発までかなり時間を持て余したそうだ。はい、俺のせいです。
一方我らはというと、カノジョの希望通りその足で区役所へ赴き「婚姻届」を提出してきた。
カノジョの友人カトちゃんに付き添ってもらい、記念写真も撮ってもらう。
・・・これで名実共に、カノジョはTACのヨメとなった。
感無量。もう逃がさねェ。
・・・そして逃げられねェ。
さて。ホテルを出て、これから小樽に移動である。
二次会会場である旅人の宿「舎(やまきち)とまや」で、ベルさん&サリーさん夫妻が準備してくれてるはずだ。
二次会にも参加してくれる予定のShunさん、やよいさん、カトちゃんらと共に電車でGo。
移動中、ホテルのスタッフが気を利かせて折り詰めにしてくれた披露宴の食事を駅弁のよーに喰らう。ウェディングケーキも箸で喰らう。ほんのりデミグラスソース風味。
この二次会は会費など特に徴収せず、参加者全員が何か一品づつ持ち寄りというシステムらしい。
小樽駅の近くにあったテキトーな店で買い込み、タクシーでとまやへ。
「おかえり〜(とまやでは客を迎える時こう言う)、ケッコンおめでと〜」
ベルさんに招き入れられとまやに入ると、中はスンゴい事になっていた。
「もちあげ」とは、ヨメの仲間内での通り名である。
お・・・・・親父さん??
まさかこんな北の果てでお会いすることになるたぁ思わなかったぜ。
・・・ヨメよ。キミが地元の友人たちに俺の事をどう説明しているか小一時間(ry
二次会はおかげさまで大盛り上がりだった。
総勢で20人くらいだろうか?各々がいろんな土産を持ち寄るので、テーブルの上には各種アルコールはもちろん寿司・揚げ物・惣菜などが溢れてかなり豪勢である。
Shunさん持参の豚スペアリブスモークやたらんさん持参の鹿の足の燻製(丸々一本)が薪ストーブで炙られて出てきたりしてコレがまたンまい!!
所用で来られなかったマジシャンにゃべし君も、美味しいお酒を届けてくれていた。皆で美味しく頂きました。感謝。
なんか次から次へと手製のケーキが出てきて、その都度みんなの「結婚行進曲」大合唱(ほとんど軍歌にしか聞こえない)のもと、本日何回目かのケーキカットをさせられる。こっ恥ずかしいったらもう。
なんでこんなにケーキがあるのだろうと思ったら、実はちょうど前日にこの二次会にも来てくれてるノリカズさん夫妻の結婚祝いがあったらしく、その時に出たケーキの残りをリサイクルしたものらしい。地球に優しいエコケーキ・・・ってオイ。
そのあと、ケッコンサートなるものが開催された。
TACが「北海道の人間は全員音楽が出来なきゃいけないという法律でもあるのだろうか」と勘ぐるほど、ヨメの交友関係はシンガーソングライター率高い。
皆がギターやピアノに造詣が深く、オリジナルの曲を持ってる。しかもどれもクオリティ高い。何も出来んのはヨメくらいのもんだ。
ベルさん、喫茶ぐるぐるのマスターダベさんに続き、素敵な新曲を携えてともか20さん、「俺の人生俺のもの」「ポイント7倍の歌」(どちらも血管はち切れそうなテンションの名曲)のミキオさん、何故か大人相手に「あおむしくんの手遊び(多分、お遊戯)」をレクチャーしてくれたカメさん。
ノリカズさんも「天パの大行進」(ラーメンズ「怪傑ギリジンのテーマ」のパクリ)で盛り上げてくれた。
それにしても、かものはしさんの「ドラマのように」は本気で名曲だと思う。(CDも頂いた)
コレは万人に聴いて欲しい素晴らしい歌だ。「とまや」にお越しの際は是非問い合わせてみて欲しい。
記念写真
ヨメの親友ねおちゃんも旦那の運転で駆け付けてくれ、本当に楽しい夜を満喫した。
来てくれたみんな本当にありがとう!!
その夜はそのままTAC、ヨメ、Shunさん、やよいさん、カトちゃんともにとまやに宿泊。もちろん男女別相部屋。
TACが結婚初夜共に寝たのはShunさんだった。
ケッコン式翌日――26日は、結局昼までとまやでダラダラ。
ベルさん家族と一緒にみんなで昼食を食べに出掛け、そのまま札幌へ帰ることにした。お世話になりましたっ!
札幌駅まで戻ったところでカトちゃんと別れ、Shunさん・やよいさんたちとカレー食いに行ったり、土産買いに行ったり、ヨメの従兄妹が経営する喫茶エスキスに行ったり。(ここのコーヒーは絶品。かなり時間かけて丁寧に淹れるので時間がある時にゆっくり楽しみましょう。ギャラリーもあるよ)
Shunさんらと別れてからヨメの実家に帰還する。
実はヨメの失業保険手当の手続きがどーたらこーたらというよくワカラン理由により、我らは28日まで北海道に滞在する必要がある。つまり、あと二日は帰れないのである。
その間は当然、ヨメの実家に泊めてもらう。小樽港からフェリーで北海道を発つ28日夜までに、ヨメの愛車サンバーに彼女の荷物を詰め込むなど引越しの準備をしなければならない。
前に泊まった時はエラい惨状だったが、少しは荷物まとめてあるよな?
淡い期待を胸に彼女の部屋に入る。
(画像はイメージです)
被災地。
ってオイちょっと待てコラ。
これが明後日引越し予定の人間の部屋か?つか、全く手をつけてないようだが全てこれからやるつもりなのか?
整然と片付いた二人のスィートホームの夢は、露と消えた。
俺たちの新婚生活は、瓦礫の中で始まることになりそうだ。
27日は殆ど親戚の挨拶回りで終わる。
そしてついにヨメを岐阜へと連れ去る日――28日は、抜けるような青空だった。
午前中はヨメの失業保険手当の手続きどーたらこーたらでハローワークに。
午後から本格的に引越し作業を開始する。とにかく車に詰め込めるだけ詰め込んで23時までに小樽港へ行かないとフェリーに間に合わない。
母上と義兄さんに手伝ってもらったが、コレがなかなか骨の折れる作業だった。
とにかくモノの絶対数が多過ぎる嫁の部屋。その中から「岐阜に持っていくモノ」・「札幌に置いていくモノ」に分類することから始めなければならない。持って行くモノの実に8割は着物と漫画だ。
載せていくヨメの愛車サンバーも既にキャンプ用品などで溢れ、混沌としている。部屋と同時に車の方の整理も同時進行だ。
整理していくうち、ベッドの下や後部座席の陰から次々と発掘されるもはや何年モノか判別出来ない過去の遺物たち。未開封のスナック菓子やワインの瓶まである。
ヨメは基本「もったいないオバケ」。
しかしこの際ハッキリ言わせてもらうが、オマエのやってる事の方がよっぽど勿体ないわ!
結局、フラットにしてあるサンバーの後部座席とラッケージスペースは天井の隅々まで埋まった。ルームミラーでは背後が見えない。
てか、これだけの荷物を積んでちゃんと走れるのかしら?
さて、PM6:00。
全ての荷物を積み終え――いよいよ出発の時間である。ヨメが運転席に着き、TACは助手席に乗る。
ヨメは結局、生まれてから結婚するまでの30余年、一度も家を出ることはなかった。つまり、本当の意味でこの生まれ育った家を出るのは初めてである。
明日からは岐阜県民となるのである。
・・・さぞ感慨深いものがあるだろう。
見送る母上の目にも、うっすらと光るものがある。ここは十分に別れを惜しむ時間をあげよう・・・と思ってたら、
「じゃ、行ってくる」
と、ものすごくアッサリと車を出すヨメ。おーーーい。
(・・・もっとこう、涙ぐむとか母上と抱き合って泣くとかいろいろあんだろがこのスーパードライめが)
ともかく。
こうして二人を乗せたサンバーは、新しい人生に向かって出発した。
彼女を育ててくれた家族、そして札幌の町よ。
思い出をありがとう。そしてさようなら。
オレ、彼女を岐阜へ連れて行きます!
しかし、小樽に向かう途中で母上からの電話。
いきなりヨメの忘れ物が発覚。(しかも忘れたのは式で頂いた祝儀)
結局、近くのコンビニで停車し、母上が車で届けてくれるのを待ったのだった。
・・・ああ、カッコ悪い。
小樽では、「喫茶ぐるぐる」で夕食を頂く。パスタうめぇ。
そこでマスターのダベさんから、ヨメ行きつけのバー「一匹長屋」でライブをやっているという情報を聞き、急遽行くことにする。
何曲か楽しんだ後、いよいよフェリー埠頭へ向かう。
忌まわしい思い出が蘇る新日本海フェリー「あかしあ」
ここでまた、ヨメが店に忘れ物してきたことが発覚。慌てて車すっ飛ばして回収に行く。
・・・おまい、いいかげんにすれ。
ねおちゃん夫婦が見送りに来てくれていた。
出航まであと30分あまり。最後に親友とのつもる話もあるだろう。
TACは先にサンバーで乗船することにし、待合室を後にした。
と思ったら、案外アッサリと乗船してくるヨメ。おーーーい。
(・・・もっとこう・・・いや、もう何も言うまい)
デッキに出てみると、今度は二次会に来てくれていたカノジョの友人たちが埠頭まで見送りに来てくれていた。
23時を回り、3月の北海道はまだまだ寒い。
そんな中、ダベさんのギターに合わせて皆が歌う「ドラマのように」が心に沁みた。
こんなにも愛されている彼女を、あんなにも素晴らしい仲間から引き離してしまう自分に――背負わされたものは大きい。
遠ざかる小樽港を見つめながら、誓う。
幸せにします。ありがとう。
心配していた帰りのフェリーだったが、船酔いに関しては大丈夫だった。
前回のように台風の中を正面突破というわけではなかったし、大事をとって酔い止めも飲んでたし。
その代わり、腹壊しました。(最悪)
なんか悪いモン食ったわけではなく、単純にお腹を冷やして腸風邪ひいたようだ。つくづくこの新日本海フェリーとは相性悪い。
結局、乗船中ずっと布団にくるまっていたような気がする。
ヨメ
「ねえ、夕食食べないの?レストラン行こうよ」
TAC
「悪い。無理。一人で行ってくれ」
ヨメ
「一人ぢゃつまんないよぅ」
TAC
「ゴメンなぁ(カワイイとこあるじゃねぇか)」
ヨメ
「くすん・・・じゃ、一人で寂しく食べてくるね・・・・・・・ステーキ」
TAC
「ぅをぃ」
食う気マンマン気合十分じゃねえか。
フェリーは予定通り、翌29日の21時に京都・舞鶴に入港。
その後は半死半生のTACの運転で250kmほどサンバーを飛ばし、日付けが変わる頃に無事美濃に着いた。
寝ずに待っていた母が迎えてくれる。
「おかえりなさい。これからヨロシクね」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
二人の妹はとうの昔に嫁に出ている我が家に、新しい娘がやってきた。
奇しくも上の妹と漢字違いの同名であるヨメ。
そう、娘が”帰って”きたのだ。再び我が家の姓を冠して。
母が四十数年前、南の「鹿児島」からこの遠い美濃の地まで嫁いできたように、
今度は北の「北海道」から、この遠い美濃の地へ。
百鬼夜号が導いた、ちょっと不思議な縁のもとに。
ようこそ我が家へ。
俺の大切な新しい家族。