☆ そして別れの朝へ ☆
とうとう三日目の朝を迎えました。
あとはもう、帰るだけです。
港湾労働者福祉センターをチェックアウトし、荷物を持って「ゲゲゲ」へ行く。
マスター、ノノさんと3人で取り止めのない話をして過ごす。他愛もない冗談で笑い合いながら・・・自分にとって、すっかりココが”我が家”になってしまっている事を実感する。
そして、同時に痛みも感じていた。刻々と迫る別れの時に。
ちょっと長居し過ぎたようだ。この町の温かい空気に、人々の情に・・・長く触れ過ぎた。
そう、帰りたくないと思えるほどに。
この二日間は本当に有意義な時間だった。いろんな人と出会えた。たくさんの思い出を貰った。
全て、百鬼夜号が引きあわせてくれた。
昨夜お世話になった黒目さん、新見さん、手島さん、そしてフジイさんもがゲゲゲにやって来る。
水木ロードの”妖怪”の皆さんが勢揃いしたところで、最後に一枚、記念写真をお願いする。
御世話になりました!
なんだかんだくっちゃべってるうちに、もう11時をまわってしまった。
「じゃ・・・そろそろ行きます」
未練を断ち切るように、皆に礼と別れを告げる。
「またおいで」
ニッコリ笑って見送ってくれるノノさんは、今日も本当に優しい「父親」の顔をしていた。
ありがとう。そして、さようなら。
思い出の波止場で百鬼夜号を積載車に載せ、マスターの車に先導されて境港を後にする。
米子ICへ向かう道中で一旦停車し、そこでマスターとお別れすることになった。
今回の旅が生涯忘れられないほど充実したものになったのは、全てマスターのおかげである。何もかも・・・マスターの力なしでは実現しなかった。
水木センセとの遭遇も。新しい「友達」との出会いも。
「本っっ当に・・・ありがとうございました!」
精一杯の感謝の思いを込め、固く握手を交わす。
「また来て下さいね!」
ニッコリ笑って見送ってくれるマスターは、今日も本当に伝次郎さんに似て優しい「兄貴」の顔をしていた。
ありがとう。ただただ、ありがとう。
雪が舞い散る米子の道を、百の鬼を乗せて積載車が行く。
時刻は正午をまわっていたが、昼食のために何処かの店へ寄るのはやめた。
今ここで停まってしまったら、本当に帰れなくなりそうで。
このまま行こう。振り返らずにまっすぐ行こう。
ふと脇の紙袋を見ると、境港名物「ののこめし」が目に入った。
別れ際にノノさんが「お昼に食べなさい」と言って持たせてくれたものだ。
油揚げの中に米と野菜などの具を詰めてダシ汁で炊き上げた、境港の郷土料理らしい。
運転しながら一口食べてみる。
素朴だがしっかりとした、いわゆる「オフクロの味」が口に広がる。空腹の胃に沁み渡っていく。
刹那、頬の上を何か熱いものが伝って落ちたような気がした。
ののこめしがちょっと塩辛くなった。
「・・・ちぇっ、いまさら花粉症かよ・・・」
ダッシュボードの上には、用心のために持ってきたけど結局一度も開封しなかった花粉症の薬が揺れていた。
滲んだ視界の片隅でただ揺れていた。
糸冬
(追記)
拝啓 目玉マスター様 及び、 ワタシが水木ロード滞在中に接触を持った全ての皆様。 先日は本当にお世話になりました。 皆様と共に過ごしたあの二日間は実に楽しく、おかげさまで大変思い出深いものとなりました。
・・・さて、 あの日からもう半年が過ぎ(8月31日現在)、そろそろ時効かと思いますので、
あの水木しげるロード滞在中、実はワタシ・・・
・・・二日間とも風呂に入ってません。(汚)
だ・・・だって、だって! 港湾労働者福祉センターって共同風呂なんだけど、「夜8時までに入ってください」なんてムチャな事言うんですよ!
・・・いかに女好きなTACさんとはいえ、あの二日間だけはどっかでオンナ引っ掛けて部屋に連れ込むなんて事、誓ってしておりません。
あ、ちなみにパンツはちゃんと替えてましたよ☆
敬具 TAC
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・・・ああ・・・せっかく綺麗に終わろうとしてたのに、いっぺんに台無し。
もう一つの別れ
皆さん、今年の2月に発売された「Auto Klein」3月号は御購入して頂けたでしょうか?
百鬼夜号、初の雑誌デビュー。3ページにも渡る特集コーナーを設けてくださり、大々的に紹介してくださいました。
まったくもってその勇気ある編集魂に乾杯です。
取材は年明け早々の1月9日。数日前に降った雪が道端にかすかに残る、良く晴れた午後でした。
ライターの串浦さんと共にはるばる大阪から来てくださった吉田編集長は、読者の皆に「へっぽこ編集長」の名で親しまれている通り、とても気さくで庶民的な感じの人でした。百鬼夜号に大変感動してくださり、こちらも実に新鮮で楽しい経験をさせて頂きました。
吉田さんとはその後も度々メールや掲示板でのやりとりがあり、とても懇意にしてくださいました。
5月に大阪の舞洲で行なわれたイベントにも、「ぜひ百鬼夜号と共に来て下さい」と招待してくれていたのです。
あいにくその日はどうしても時間が取れず、謹んで参加を辞退させて頂いたのですが。
イベントの前夜(正確には当日の早朝ですが)、本人から掲示板へこんなカキコがありました。
おじゃまします | ||||||
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・・・この私のレスに、その後、彼が応えてくれる事はありませんでした。
この日の早朝・・・おそらくはこのカキコを終えて会社から家へ帰る途中・・・お亡くなりになられたのです。
3月号の百鬼夜号の記事には、写真の下にいくつかコメントが書かれてあります。
その内容を読んだ人は私が百鬼夜号製作についての本格的なインタビューを受けたと思うでしょうが、実は違います。
全て、串浦さんが写真撮影している間に道端で吉田さんと交わした他愛もない雑談なのです。
一切のメモも取る事なく、彼は話した内容を完璧に記憶していました。その直後に東京で行なわれた大きなカー・イベントに参加し、ガッチリと取材をこなしているにも関わらず。
編集者という仕事の、ちょっとした”職人芸”を見せてもらった気分でした。
どこまで本気だったのか、「俺、TACさんの文章、好きなんですよ。是非ウチの雑誌で連載して欲しい」と言われちゃったり、
撮影場所を探している時、「ホントに”出る”って言われてる場所がありますけど、行きます?」と脅かしてみたら
・・・まさか、本当にそれが最後の「思い出」になってしまうとは思ってなかったのですが。
さようなら。私にとっては永遠のAK編集長、吉田さん。
アナタがその手で百鬼夜号のバンパーに貼ってくれたAKステッカー・・・ずっとずっと大切にします。
だから、ずっとずっと見守っていてくださいね。
追悼の意味を込め、捧げます。
謹んで御冥福を御祈り申し上げます。
←誕生日に流音さんから頂きました!
特製「目玉親父ビーズアクセサリー」です。
百鬼夜号のキーホルダーに使わせてもらってます。
ありがとう!!
世の女の子達は、覚えておくといいゾ!
TACさんの誕生日は7月19日なんだってさ!
(プレゼントは365日24時間体制で受付中)